亜熱帯のシマの梅雨は、空気がまとわりつくような湿気です。
昔ながらのシマの家々は、壁を少なく、床をうんと高くして、湿気を逃がします。
子どものころは、開け放った部屋の畳に寝ころんで、雨の庭を見ているのが大好きでした。
除湿機など無くても、家の中の空気は落ち着いていたように思います。
さて、今回の奄美世のごはんは『おべんとう』。
多くの子どもたちは、小学校に入って学校給食を食べる前は、お弁当を持って幼稚園に通っています。
中学まで給食で、卒業したらまた、おべんとう。
カップ麺や、ハンバーガー、コンビニ食に寄り道したい年頃もありますね。
でも最近は仕事をしている方にも、おべんとう派が増えているとか。
お昼のごはんは、とかく軽く扱われがちですが、3度の食事のうちの1食です。
もし朝ごはんを食べ損ねたとしたら、お昼ごはんが一日の食事の半分を占めることになります。
そう考えると、侮れないのがお昼ごはん。
ご飯を炊いて、季節の野菜を料理して、おべんとう箱につめてみてください。
ご存じのとおり、私は大雑把なので、おかずは1品。
どうしても出来てしまう隙間には、切干し大根や野菜の塩漬けなど、常備菜を埋め込んでお茶を濁します。
端境期には、煮物とおかかだけの、茶色いおべんとうの時もありますが、娘たちは文句も言わず、嬉しそうに持っていってくれます。
ごはんが玄米なので、みごとに茶色です。
主人も私も同じおべんとうを持って出勤します。
おかずが足りなくて、おむすびだけの時もあります。
かなり手抜きの我が家のおべんとうですが、基本的には素材から手作りします。
おやつと同じで、添加物が入ってこないこと、化学調味料の味に慣れてしまわないこと。
そして子どもたちは成長に、大人は修復・回復に、それぞれ必要な栄養を。
あ、素材からと言っても、豆腐やお揚げ、ちくわ、は使ってますがね。
写真は友人たちのおべんとう。
自分の身体を気遣った、お手製のおべんとう。
漢字のテストの日、息子さんに照り焼きべんとう。
83歳のおばあちゃんが、山に入り海に潜って採ってきた、
筍とわかめのおべんとう。
夜は仕事で遅くなるからと、娘さんに毎日野菜たっぷりのおべんとう。
お昼を挟んだ集まりに持参したおべんとう。
これは学校のお祭りに出店した、
小学5年生の子どもたちのお弁当屋さんのおべんとう。
共通するのは、すべて素材からの手作りということ。
作る人が、食べる人を想って、作ったということ。
野生動物は、どんなに飢えていても、毒が混ざった物を食べないと言います。
ひどく苦い味を付けても、身体に必要なものを選び取るそうです。
甘味でごまかしても、同じです。
そして必要な栄養を満たしたら、それ以上食べることをしないと言います。
生きるために 食べる。
生命をつなぐために 食べる。
そうありたいものですが、私たち人間には、心を満たす食べものも必要です。
でも、不自然な食べものに気づく力、感じる力は、誰もが持って生まれてきたはず。
梅雨の晴れ間のシマの海は、もう夏の色です。